実に散文的なブログ

ブログとは言うものの、ただの日記

これだからSDGsは嫌いだ

最近、私の通う学校も含めて、やれ「SDGs」だとか、やれ「ダイバーシティ」だとか、やれ「平等」だか「平和」だか、そういった口先だけはいっちょ前に立派な大風呂敷を掲げているのを見る機会が多くなっている。

 

そして先日、私はとある授業で、こんなよくわからないページをPDF化したのであろうプリントが配られ、それについて「あなたなら何ができるだろうか?」みたいなことを考えさせられる機会があった。

www.unic.or.jp

それを見た瞬間、私は絶望した。失望した。がっかりした。

実質世界政府たる国際連合が、こんなふざけたゴミみたいなプリントを作って良いのだろうかと。

これが本当に世界平和なのだろうかと。

一つずつ見ていこう。

あ、ちなみに私の性格が悪いといことはある程度自覚しているので、もしこの記事を読んで気分が悪くなったらブラウザバック、どうぞ。環境のために。

Lv.1 ソファに寝たままできること

そりゃあ、一部は「確かに」とか、当たり前に思えることもある。

でもさあ…

請求書が来たら、銀行窓口でなく、オンラインかモバイルで支払おう。紙を使わなければ、森林を破壊しなくて済む。

この「請求書」がオンライン請求書であることを願いたいが、おそらく紙の請求書のことを言ってるんだろうね、「請求書が来る」っていうことは。

だとしたらさ、もう紙の請求書が来てるわけじゃん?無駄やろ。

 

 

いいね! するだけじゃなく、シェアしよう。女性の権利や気候変動についてソーシャルメディアでおもしろい投稿を見つけたら、ネットワークの友達にシェアしよう

世界平和のためにフェミニストになれということなのだろうか。

少なくとも自分はネットの友達から「ねえねえ!これ女性の権利侵害だよね!?いますぐここに署名して◯◯商事を潰そう!」とかそういうDMが来たら、即刻縁を切るだろうな。

 

 

オンラインでのいじめを報告しよう。掲示板やチャットルームで嫌がらせを見つけたら、その人に警告しよう。

出たーーー!!!!チクリ魔だあーーーー!!!!!

そりゃいじめはいけないと思う。それは当たり前。でも、事あるごとに「いーけないんだ、いけないんだー、せーんせいにいっちゃうぞー」と大声で叫んで「せんせー!!!◯◯くんが△△くんをいじめてるうーーー!!!」と走り回って叫ぶクソガキにも似たものを感じるのは私だけだろうか。

それともこれが、「憎まれっ子世にはばかる」というやつなのだろうか。

 

Lv.2 家にいてもできること

ドライヤーや乾燥機を使わずに、髪の毛や衣服を自然乾燥させよう。衣服を洗う場合には、洗濯機の容量をフルにして使おう!

洗濯機の話はいいとして、髪の毛を自然乾燥させるのが環境にいいらしい。

一般的に髪の毛の自然乾燥は、髪を傷ませる原因になるという。つまり、ぱさついたりボサボサになるということだ。

自分の髪がパサパサになったとしても、環境が守られるならそれでいいと思う自己犠牲精神の強い人が過半数なら別に結構だが、私はそうは思わない。

もっとも、2~3億人くらいが一斉にドライヤーを使うのをやめたなら効果はあるかもしれないが、そうでないならドライヤーを使うのを数百、数万人がやめたり、あるいはテレビやPCモニターを消したりしたところでその効果はたかが知れているだろう。

 

 

肉や魚を控えめに。肉の生産には植物よりも多くの資源が使われているよ。

なるほど、つまり世界平和のためにヴィーガンになれということなのだろうか。

これには綾野辻子もニッコリ。

 

 

できれば、ソーラーパネルを家に取り付けよう。電気代は確実に減るはず!

これは個人的に学校の探究活動で調べているのだが、ソーラーパネルは20~30年くらいで寿命が来て交換しないといけないという(まだ世界のソーラーパネルの大半が寿命じゃないだけ)。

ソーラーパネルの素材自体はリサイクルできるらしいが、だとしても…ねえ?

 

Lv.3 家の外でできること

買い物は地元で! 地域の企業を支援すれば、雇用が守られるし、長距離トラックの運転も必要なくなる。

これは良い取り組みだ。探求活動で地域過疎化も調べている私にとって、これはぜひともおすすめしたい。この活動ガイドで心からおすすめできる数少ない選択肢と言えるだろう。

(これは私だけの話だが)しかし残念なことに、私の家の周辺1~2kmは全て全国チェーンのスーパーくらいしかない。

個人営業や地域零細企業(いい意味で)のスーパーがあればぜひともそこで買いたいし買ってみたいが、いざ家の周りを見てみればマ◯エツ、西◯、イ◯ン(まいば◯けっと含む)、業◯スーパー、あとはコンビニくらいだ。

 

 

サステナブル・シーフードだけを買おう! どの海産物が安全に消費できるかを知ることができるアプリもいろいろ開発されているよ。

まあ、サステナブルシーフードを買うかどうかは個人の自由だろうね。私は買わないが、まあ買いたければ買えば?そんな感じ。

でもね、でもさあ…↓

レストランに行ってシーフードを注文したら必ず、「サステナブル・シーフードを使っていますか?」と聞いてみて! あなたが海にやさしいシーフードを求めていることを、行きつけの店に知らせてあげよう。

FUCK YOU!!!!!!!!!

私も飲食界隈でバイトしたことがあるからわかるが、やめてくれ。バイトにそんなことはわからない。

発注側はともかく、現場にいる人に「使用食材がサステナブルシーフード」なんてわかるはずがない。というかこっちは忙しい。働いてて疲れてるんだ。ただでさえ客にどんな質問をされるのかと緊張や恐怖でいっぱいなのだから、余計な質問はしないでくれ。うざいから。

幸いにもまだ私のバ先にこんな「サステナブルシーフード」なるもの関連の質問をしてくる客はいない。が、もし「サステナブル・シーフードを使っていますか?」と聞くような客がいたならば、私は彼に即刻の死を願うだろう。とりあえず出禁にしてやりたい。

anond.hatelabo.jp

 

詰め替え可能なボトルやコーヒーカップを使おう。無駄がなくなるし、コーヒーショップで値引きしてもらえることも!

詰め替えボトル、つまりマイボトルのことだろう。

マイボトルとは話が違うし、論点ずらしということはわかっているが、マイ箸がなぜ廃れたかを考えると、同じ道を通りそうだと感じる。

マイ箸も某46環境大臣の考えとかで始まったが、食中毒とかいろいろあって結局廃れた。マイボトルも口をつけるものなので、なんとなく雑菌的な問題が心配。

そして、(マイ箸の場合は)食中毒は店側の責任になってしまう。店側もそんなリスクに手を出すだろうか。

というか、第一に洗うほうが本当にエコなのだろうか。

 

ただ国連の名誉のために言っておくと、コーヒー豆だけの販売の店とかだとマイタッパーに入れてもらったりできるし、割引もあったりするらしい。

 

 

ビンテージものを買おう。新品がいつも最高とは限らないよ。中古品店から掘り出し物を見つけては?

なんとなくだが、中古商品ばかりに需要が偏って新品の売上が落ちると、企業側に悪影響が出そうである。なんとなくだが。

 

Lv.4 職場でできること

つまりこの4つのページからわかることは、持続可能な社会のために

  • フェミニストになって他人にもそれをSNSのDMで押し付け
  • ヴィーガンになって肉や魚を食わずor減らし
  • 店で「サステナブルシーフードを置いてますか」と聞いて店員の手を焼かせ
  • パリ協定を支持し反対派のト◯ンプ元大統領に中指を立てる

私はこう解釈した。

もちろん自覚している。私の考えが両極端でおかしいということは。

でも、この国連の出しているリーフレットがどれだけ奇天烈なことを言っているかは想像に難くないと思う。

もちろん考え方は人それぞれだと思う。でも自分は、このリーフレットを授業で読んだ瞬間にSDGsが嫌いになった。もともと嫌いだったけど。

 

2025年までにこんなことをやりたいなあ、とか。そんな目標を掲げること自体は結構なことだろうと思う。

だが、企業がそれを無理矢理にも推して社員のスーツにバッジを付けたり、突然学校が生徒に対して「SDGsのために何ができるか?」「SDGsマンセー」みたいにワッショイしてSDGsを持ち上げたりするのは一種のカルト宗教のようで気持ちが悪い。

そして学校では生徒に対してSDGsをテーマに作文や「私はこんなことを考えて地球のために貢献します」みたいな発表をさせているのもまた気味が悪い。

大変残念だが、私にはこれが「国際連合様が直々に考えてくださったSDGsがどれだけ素晴らしいか」と偏った(私の考えも十分偏っているが)見方で礼賛し、生徒にそれを押し付けているようにすら感じる。まるで北朝鮮教育機関が生徒に対して”将軍様”の”素晴らしさ”を教えるように。

しかも、あれだけ学校教育で「物事を決める時はメリット・デメリットを洗い出す」みたいな教育を行ったり、「多様性は大事だ」などと謳っておきながら、SDGsはメリットデメリット関係なしに肯定的に紹介し、私のようなSDGsを良く思わない意見を一蹴しているのは矛盾ではないか。

私にはSDGsがまるでこんな風に見える。(生成AIで作成)

また私には、「202X年までに目標を達成しよう」というのが、共産主義圏のプロパガンダポスターのようで更に気持ちが悪い。

まあ私の考えも偏っている。それは自覚している。

嫌ならやらなければいい。それもわかっている。

でもなぜやるのか?ツンデレなのか?本当はSDGsが好きなのか?否。

学校という狭い社会で生きるためには、たとえ上っ面だけでも、学校や教師にとって都合の良い考えを持ち発表をすることがどうしても必要だからなのである。中学校なら内申とかで。

 

 

言いたいことは全て言いきったのでこれで終わり。

日記 2024/05/11

体育祭の前の緊張感

先日は体育祭。

運動嫌いな自分にとっては本来体育祭は憂鬱なイベントだが、幸いにも私の高校は体育祭の自由度が高く、1種目だけ出ればあとは2時間くらい暇な時間を過ごせるという大変楽な日である。

その暇な時間帯は、もちろん種目を観戦するもよし。友達とおしゃべりするもよし。校庭の隅で音ゲーに励むのもよし。という感じ。非常に楽しい。こんな自分でも味わえる青春という感覚だ。

今回はカメラを持って体育祭に行った。別に撮ったところでなにもないのだが、カメラを持って学校に行くことでクラスメイトに対して「俺はこんな人なんだ」というアピールを言葉を発せずとも行うことが出来る。

 

…と思ったらとんでもなく高そうなカメラを持っている人がクラスにいた。
いくらバイトOKな学校とはいえ、そんな新品20万もするSONYをどうやって買ったんだ。教えてくれ。どこでバイトしてるんだ。…え?ブックオフ?そうなんだ()

日記 2024/05/07

自分は中学校の頃、数学がとても苦手で嫌いだった。

でも高校に進学後、なぜか数学がとても好きになり、なんなら得意教科にもなった。

 

しかし学年が変わってから、また数学が退屈で苦手な教科になった気がする。

 

なぜなのか?


自分の頭が悪いんじゃないかというごもっともな指摘は別として、ひょっとしたら先生方の腕の良さみたいなものが影響してるのかもしれない。

 

中学の頃の数学のS先生はとんでもないババアだった。

気に入った生徒にはテストの点が多少悪くても5か4。自分みたいに気に入らないクソガキには(その”気に入った生徒”より提出物の類が良くても)3、悪けりゃ2が付くことも皿だった。

 

高校に入った最初の数学の先生は素晴らしく優しいお方だった(北朝鮮みたいな言い方だなあ)。

最初の小テスト(たすき掛けだった)がうまく行かず乗り遅れた私を先生はしっかりと確認しておられ、丁寧に個別で教えてくださったり。

できなかったとしてもため息のような、いわゆる「気が滅入る」ことは一切せず、笑いながら(いい意味で)丁寧に授業で解説してくれたり。

もちろんできたら「アンタちゃんとできんじゃん!!」と大げさに明るく(いい意味で×2回目)褒めてくれたり。

 

なんだあたりまえじゃないか、と思われたなら、少なくともあなたは大変素晴らしい先生方に恵まれていたのだろう。羨ましい限りだ、うちの中学の頃のババア(驚くべきことにまだ異動してないらしい)とは大違いだ。

 

一方、今の数学の先生は、二人いらっしゃるのだが、一方は先述の方と同じくらい丁寧でわかりやすい方だ。やや放任的だが、実際の授業はとてもわかりやすい。

しかしもう一方は、放任的だということは同じだがあまりにも放任的すぎて、まともな解説をあまりしてくれない。
その結果どうなるか。私のような落ちこぼれが出てしまうのである。

 

もちろん私の頭が悪いことは事実だし、その分努力しなければいけないんだろうなあということは重々承知しているしごもっともな指摘であるし反論の余地もないのだが、

先生方にもぜひ、私のようなバカでも楽しめるような授業をしてくれるとありがたいなあ、と思っている。

 

教職ってブラックと聞いているし、大変だろうとは思うが…

 

追記: 読み返してみて、なんとなく池袋事故の”元院長”の「安全な車を作るようお願いしたい」にも通じる書き方を感じる。自分が老害に一歩近づいてしまった。

丸一日大回り乗車。

成田線 209系

丸一日かけて千葉県を大回りしてきた。

写真は成田駅で撮ったもの。もともとは京浜東北線を走っていた車両らしい。

私の家に近い場所を通っていて馴染みのあり、北から南へ(南から北か?)都心を突っ切るような路線の車両が、今はそんな喧騒とも遠くかけ離れた千葉県のローカル線を走っているというのは、なんか変な気分になる。

ボックスシート

たまたま空いたボックスシートに腰掛け、水垢?で薄汚れた窓ガラス越しにただ流れていく景色をぼうっと眺める。

クセの強い車掌さんのアナウンスが、「次はなるとー」とアナウンス。

えっ、もう知らぬ間に40分も経ったの!?びっくり。無駄な時間を過ごしてしまった。

上総一ノ宮駅にて。E131系。

成東からは東金線という、5駅くらいしかない短いローカル線に乗り換える。

大網(東金線の終点)で上総一ノ宮駅へ向かう別の電車に小走りで乗り換え。

上総一ノ宮からは、京葉線を走る10両編成の電車に乗っていた乗客が、2両の小さなワンマンカーに押し込まれる。

車内は満員。座席は勿論、立つ人も多い。大学生くらいのグループの明るい声と、子供の「座りたい」と親に願う声が車内に響く。

さすがにこんなに混んでいるのはGWのときだけらしい。沿線住民のおじさんは私に、「ロックフェスやってるわけじゃないからね(笑)」と話してくれた。

安房鴨川駅にて。

安房鴨川では長時間停車。

館山駅にて。E257系。

館山でさっきの2両のワンマンカーから4両?6両?の普通電車に乗り継げたものの、それには乗らず。

新宿さざなみという臨時特急電車で一気に新宿まで抜ける。

GW時期ということもあり、座席はほぼ満席。私は指定席を取っていたため座ることはできた。私の隣には空席があったが、途中の蘇我か五井からご老人が着席。錦糸町のあたりまで乗っていった。

特急電車の座席から。

海を見ようとA席を取った。

眺めは申し分ないが、西日が眩しくこちらを照らしてくる。

休日は外にあまり出ない私には、房総半島の日差しすら少々強すぎたのかもしれない。

ピンボケがすごい。

普通電車よりはきれいだがそれでもやはり薄汚れた窓越しに田んぼや海や町並みを眺めると、あっという間に千葉まで来ていた。

新京成が見える。実は乗ったことない鉄道会社。

新宿駅

館山という静かな観光都市から、新宿という世界で一番忙しい駅まで帰ってきた。

乗ってきた新宿さざなみは、方向幕を回送に変えていた。

東京駅

山手線で東京駅まで戻り、今回の大回り乗車は終了。

切符にはんこを押してもらうときに、駅員に「大回り乗車していました?」と聞かれた。

ルートを説明し、「お疲れ様でした」の言葉とともにはんこを押して貰う。

キセルじゃないことは分かってるとはいえ、JRにとっては嫌がられるであろう対象である大回り乗車を行ってきた身としては、感謝とともになんとなく申し訳なくなってきた。

2024/05/03 初投稿。

このブログの設営とか準備とか色々してたら、開設から初投稿まで2日もかけてしまった。

仕事が遅いことがバレてしまう。

 

こういうブログで初投稿のときはどんなことを書けば良いのかがわからない。

自己紹介もこのブログのAboutページに全て書いてしまった。

 

改めて言うと、このブログではとある都市圏に済んでいる世間的に見ればいわゆるオタクなのであろう私こまごめが、親にバレないようにのらりくらりと日記のようなものを書こうと考えている。

動画編集についてとか、ガジェットについてとか、文句とか、文句とか、文句とか…

 

正直三日坊主の私がどこまでこのブログを続けることが出来るかはまだわからないが、どうぞ何卒よろしくお願いします。と言っておけばいい感じのブログの始まりになるだろう。たぶん。

黒板の前でピースする悲しいぼっちの図。

このままだと味気ないので、私が学生であることの証拠っぽい画像を貼っておこうかと。

 

この文を書いてる時点でもう時刻も午後11時になろうかというころ。大人の皆さんはまだまだ夜は長いのかもしれないが、学生である私にとってはもう眠いので早くブログをここで切ることにする。

おやすみ。

 

追伸:これ数年後に見返したらめっちゃ恥ずかしく感じる痛い文章じゃん